2020~

「いのち」と「じねん」について身体で学ぶ

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BS放送開始記念番組(NHK)のMCを逸見政孝さんと二人で、富良野の倉本聰さんの塾から放送した。
1週間の特番。何十年前になるのだろう。
お腹には、娘がいた。
「いのち」と「じねん」について身体で学ぶ。
林英哲さんの和太鼓に、夜の闇の中で、娘が手足を伸ばして喜んでいた。
シェアさせてください。
さまざまを、身体が、思い出しています…

兼井 浩氏Facebook(2021/7/3)より

『管理責任』っていうイヤな言葉がね。
昭和20年代、戦後間もなくの出来事だ。
その頃、日本に民主主義が入ってきて——-。
民主主義っていうのは「権利」と「義務」の両輪で動くんだけど、それまで日本人は義務ばかり押しつけられて権利主張なんて出来なかったから、「権利」って言葉にとびつくんだね。
とびついて舞い上がって、一方の義務の方を忘れちゃう。
なんか、それが当時の風潮だったように思うんだ。
それで、その昭和20年代に起こった一つの事件があるんだ。
たしか四国か、どっかの山ン中の貯水池に子供が落っこちて死ぬんだね。
そうするとその親が、貯水池に柵があったら子供は死ななかった。柵を作らなかったのは国の責任だって国を訴えちゃうんだよね。
それでその裁判に勝っちゃうんだ。
この事件は何故か強烈に覚えてるんだ。
不思議なことが通る世の中になったんだなぁって。
この時からだね俺が思うに、「管理責任」って言葉が言われ始めたのは。
この言葉の蔓延はその後の教育現場に於いて、実に重大な意味を持つと思うね。
何でも訴訟っていうアメリカの風習がアメリカ一辺倒の当時の日本人をタイミング良く、
——というか悪く後押ししたしね。
この頃からこの言葉の重みに怯えて、教師はそれを避けるようになるんだ。
できるだけそういう危険な事態にならないように努め出すんだね。
一方の親の側もどんどん過保護になって危ないとこへ近づいちゃいけないって、子供を冒険から遠ざけるようになるんだ。
つまり、自然に触れることからね。
日本からトムソーヤがいなくなっちゃった。
そういう風潮があったわけだよ。
そういう風潮がどんどんふくらんで、知識偏重、体験軽視っていう、教育システムを作ってくわけだね。
だけどそういう教育現場を、おかしいと思う先生方もいた。
こういう先生は学校の現場から白眼視されて、どんどん潰されて行くんだけどね。
~倉本聰~

#じねん #いのち

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