〔食べる〕

「We are What we eat」という言葉。
私たちの身体の材料は、食べるもの。
美味しさやレシピ、カロリーと同時に、
ホンモノを見極める智力が必需。



水と緑と土に感謝して

2001年「食べもの通信」5月 

文中にもあるが、「好き嫌いはダメ!何でも食べなさい!」と言われた記憶がない。
スイカ、イチゴ、大根…もちろん好きでは無いぞ、と思っていた食べ物は、ある。でも、思えば、母の掌の中。あらら、もったいない。イチゴの中にある、すごーいばいたみんCという電池は、体の中にはいるといろーんなところを元気にして..
でもみいんな、お兄ちゃまにとられちゃったのね〜..。一時が万事。何だかとっても損してるかも〜!と思ってしまえば、あら?!お気の毒なのは、わたし自身なのかしらん。。
となるのである。何十年たっても、この「食べるもの」に対峙する時の楽しさや、ワクワクのポイントは、母のおかげで創られている

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子育てと仕事、というカテゴリーかもしれないけれど、
食べること、についての基本的な捉え方は、全く変わっていない。
とにかく、家族と一緒に「食」を共にすることは、お互いの心と、からだを共振させて、どこかに(多分に親が、子供を、ではあるけれど)不調なところがないか、を共有するためにも、とても大事な「時間」であり、「おこない」でもあるとおもう。
何しろ、ヒトは、食べなければ、始まらないイキモノなのです。だから、イキモノとしての「最小限で、最大限の必需行為」は、大事にしましょう。
「We are What we Eat」!(わたしらは、食べもんで、できとるんやから!)ですからね。

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1992年「産經新聞」

真っ赤っかの山盛りトマト

1987年雑誌名不明

『夏休みの思い出』というお題での小文。というか、特別、門外不出のお写真提供の巻。
おでこの絆創膏は、幼稚園のブランコを、思い切り漕いでこいで、ギュイ〜んとこいだらお空までとどくかなあ….と膝っこ曲げてぎゆい〜ん、としてみた次の瞬間ブランコがくるりん、と上の棒を超えて回転!放り出された「うちゅうひこう児」ならぬ、「おてんば無謀児」の末!何針か縫ったとのことだけれど、「届かなかった」虚しさの方が強く、痛みについてはあまり印象に残っていない。
いくつか触れている、団扇で扇いでもらいながらのお昼寝、とか、入道雲とか…
ほんとに「じねん」の懐に包まれる「夏休み」を過ごせない、きょうびの都会っこは不幸なことだ。季節のお野菜の、あの、元気な味も!

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