LIFE:いのち

〔いのち〕

全ての価値軸のメモリ。
お金のメモリに、擦り切れそうな心や身体があったなら、
どうぞ、気がつきますように。
大したことでは、無いのですから。



  • 久米島から

    「ACADEMIA」2022年4月

    「ACADEMIA」4月号(一般社団法人全国日本学士会)は2022年3月13日に開催された、沖縄シンポジウム「琉球の島々から日本の行く末を見据える」の内容が丸ごと掲載されました。

    久米島とのご縁はいつから?
    久米島の10年先の総合計画に関わった経緯は?
    「久米島から」大事な日本の行き先が見えてくる、とは?

    記事を是非ご覧ください♪

  • 「いのち」と「じねん」について身体で学ぶ

    https://www.facebook.com/tomoyo.gaia/posts/206869858105347

    BS放送開始記念番組(NHK)のMCを逸見政孝さんと二人で、富良野の倉本聰さんの塾から放送した。
    1週間の特番。何十年前になるのだろう。
    お腹には、娘がいた。
    「いのち」と「じねん」について身体で学ぶ。
    林英哲さんの和太鼓に、夜の闇の中で、娘が手足を伸ばして喜んでいた。
    シェアさせてください。
    さまざまを、身体が、思い出しています…

    兼井 浩氏Facebook(2021/7/3)より

    『管理責任』っていうイヤな言葉がね。
    昭和20年代、戦後間もなくの出来事だ。
    その頃、日本に民主主義が入ってきて——-。
    民主主義っていうのは「権利」と「義務」の両輪で動くんだけど、それまで日本人は義務ばかり押しつけられて権利主張なんて出来なかったから、「権利」って言葉にとびつくんだね。
    とびついて舞い上がって、一方の義務の方を忘れちゃう。
    なんか、それが当時の風潮だったように思うんだ。
    それで、その昭和20年代に起こった一つの事件があるんだ。
    たしか四国か、どっかの山ン中の貯水池に子供が落っこちて死ぬんだね。
    そうするとその親が、貯水池に柵があったら子供は死ななかった。柵を作らなかったのは国の責任だって国を訴えちゃうんだよね。
    それでその裁判に勝っちゃうんだ。
    この事件は何故か強烈に覚えてるんだ。
    不思議なことが通る世の中になったんだなぁって。
    この時からだね俺が思うに、「管理責任」って言葉が言われ始めたのは。
    この言葉の蔓延はその後の教育現場に於いて、実に重大な意味を持つと思うね。
    何でも訴訟っていうアメリカの風習がアメリカ一辺倒の当時の日本人をタイミング良く、
    ——というか悪く後押ししたしね。
    この頃からこの言葉の重みに怯えて、教師はそれを避けるようになるんだ。
    できるだけそういう危険な事態にならないように努め出すんだね。
    一方の親の側もどんどん過保護になって危ないとこへ近づいちゃいけないって、子供を冒険から遠ざけるようになるんだ。
    つまり、自然に触れることからね。
    日本からトムソーヤがいなくなっちゃった。
    そういう風潮があったわけだよ。
    そういう風潮がどんどんふくらんで、知識偏重、体験軽視っていう、教育システムを作ってくわけだね。
    だけどそういう教育現場を、おかしいと思う先生方もいた。
    こういう先生は学校の現場から白眼視されて、どんどん潰されて行くんだけどね。
    ~倉本聰~

  • “自然そのものが最高の医師なのだ” — ヒポクラテス

    https://www.facebook.com/tomoyo.gaia/posts/206862498106083

    より多くの方々が この事実に
    気づいてくださることが 日本

    🇯🇵

    の近道だと…

    兼井 浩氏Facebook(2021/7/2)より

    “自然そのものが最高の医師なのだ” — ヒポクラテス

    ■ヒポクラテスの格言
    ・火食は過食に通ず
    ・満腹が原因の病気は空腹によって治る
    ・月に一度断食をすれば病気にならない
    ・病気は神が治し、恩恵は人が受け取る
    ・汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ
    ・人は自然から遠ざかるほど病気に近づく
    ・病気は食事療法と運動によって治療できる
    ・食べ物で治せない病気は、医者でも治せない
    ・人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている
    ・賢者は健康が最大の人間の喜びだと考えるべきだ
    ・病人の概念は存在しても、病気の概念は存在しない
    ・健全なる体を心掛ける者は完全なる排泄を心掛けねばならない
    ・食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか
    ・人間がありのままの自然体で自然の中で生活をすれば120歳まで生きられる
    ・病人に食べさせると、病気を養う事になる。一方、食事を与えなければ、病気は早く治る
    ・病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである
    ***
    ヒポクラテスは古代ギリシアの医者。 エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島に生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられるが、その生涯について詳しいことは分かっていない。
    生年月日: 紀元前460年
    生まれ: ギリシャ コス島
    死没: 紀元前370年, ギリシャ ラリサ

  • 若者に学ぶ「独り」時間 適度な距離、コロナ禍で気づき

    https://www.facebook.com/tomoyo.gaia/posts/128712715921062

    わお。孤独を「若者」から学ぶ?!….というよりも、「属性」を持たなければ、「個」人として認めないよ。そんな社会を突っ走ってきた戦後🇯🇵の社会構造の歪みに、漸く気づいた大人たち。と表現すべきでは、と思う。
    私たち、一人ひとりの「いのち」は、はなから、孤独なひとりのモノ。
    「西洋の個人主義 vs 東洋の集団主義」という社会構造の視点までいかずとも、まず「おのれ」を確立せねば始まらない、のスタートをきる社会と、「赤信号みんなで渡ればコワくない」。忖度世間様社会での「個」は、重さが異なってくる。
    その昔、ジャイアンツを引退したばかりの江川卓さんが、「野中さん、電話で焼肉とかね、予約をとるときに一番困るんですよ。「どちらの江川さんですか?」ってきかれる。何にも言えないな。オレ、なんでもないのかあって 笑」…..あの、江川さんが、である。とても印象に残った会話である。
    「個」よりも「属」。どこの会社に属しているか。どこの出身か。などなど。狭い日本でのおヒト評価の「価値軸」は、流動性や変化を嫌う傾向において「安定性」を担保してきたのかもしれない。
    でも、この激変激流時代においては、まず、「自分」という生きモノのハダカの姿を自らがしっかりと認識し、しっかりと一人でも立っていける「根っこ」を地面に繋げるような生き方をしていかなければ、流されて、溺れて、人や社会のせいにする男や女になってしまう。
    「孤独」というよりも「個独」。一人ひとりがそうであることを認識しはじめてからの、これからの、🇯🇵社会創りにこそ夢を広げたい。
    さ、一人で散歩に出ようかな。こんな素敵な晴天の日曜日には….

    若者に学ぶ「独り」時間 適度な距離、コロナ禍で気づき(日本経済新聞デジタル2021/3/13)

  • いただきます、はすべての『いのち』への、ありがとう、なのよ

    「あけぼの」2014年3月号

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    COP10 から10年目。2011年の10月中日新聞のインタヴュー。
    ブタペストクラブ(世界賢人会議)創設者のアーヴィン・ラズロー博士の 提唱する「 WorldShift」を拡げようと、日本でもワールドシフトジャパンを 立ち上げ、事務局長に谷崎テトラさんを。私は、ブタペストクラブ名誉会員として、日本と世界を結ぶ活動を。誰でもが自分ゴトにできるよう、空欄マトリクスをツールに、様々な世代や職業の違いを超えてプラットフォームを広げたいと考えて いた矢先の取材で、とても喜んだのを覚えている。

  • いのちのめもりで考えよう

    2011年「中日新聞」10月26日 

    https://tomoyononaka.com/wp-content/uploads/2022/12/48095898768bf5ba7a8e18d77be68a35-1-756×1024-1.jpg

    COP10 から10年目。2011年の10月中日新聞のインタヴュー。
    ブタペストクラブ(世界賢人会議)創設者のアーヴィン・ラズロー博士の 提唱する「 WorldShift」を拡げようと、日本でもワールドシフトジャパンを 立ち上げ、事務局長に谷崎テトラさんを。私は、ブタペストクラブ名誉会員として、日本と世界を結ぶ活動を。誰でもが自分ゴトにできるよう、空欄マトリクスをツールに、様々な世代や職業の違いを超えてプラットフォームを広げたいと考えて いた矢先の取材で、とても喜んだのを覚えている。

  • 事実は真実の敵なり

    2009年6月号「月刊 公民館」

    2009年「月刊 公民館」6月号のコラムです。

    変わらず伝え続けてることが、ますます大事な時代になってきてます。

    “私たちジンルイは「生きている」のではなく、「生かされている」存在でしかない、という地球上の究極の「真実」に、いかに謙虚に立ちもどれるのか。”

  • 21世紀にはばたくあなたたちへ

    1996年「資生堂イベントニュース」冬号

    人生は、10代の時に恐れていたほど長続きするものでもなく、 20代の時に期待したほど激しいエネルギーに満ちたものでも なく、30代で憂慮したほどマンネリで変化に乏しいものでもなく、 40代になって恐れたほど短かいものでもない、 と思うのです。各々の局面で勝手に期待したり、危惧したことが、今、懐しく甦ります。 50代には何を恐れ、何を体得するのでしょうか。もっとも、それまで 元気でいられれば、ですが。
     ひとつ、わかっています。永遠の命は誰にも与えられていない、ということ。自分という肉体は限りある容物でしかありません。
     今と、どうガップリ組むか。「ガンバレ、自分」にメッセージを満載しました。是非読んでください。

  • 超快適生活「やる!」

    「月刊現代」1997年1月号  

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    私の信条の一つ。全く変わらぬ、決まりの価値軸である。迷ったら「やる!」。 まずい、と思った時はやめる、という決心を「やる!」のである。 同じタイトルでエッセイを、というご依頼を、いまいただいても、あまり変わらぬ 文章を書くように思う。短文なので、是非。

  • ママになって

    1991年「マフィン」10月号  

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    娘のまりながそろそろ2歳になる頃受けた雑誌の取材。
    アメリカの大学院から戻り、そのままNHKの仕事など、いわゆるキャリアウーマンでバリバリ音が聞こえそうな時代には、全く受けたことのない雑誌や、新聞の取材が多くなった頃。被写体としての自分の表情から、穏やかお母さん色が醸し出されて(というより、バリバリ..ではなく、ホンワカワカ漂っているのにびっくり笑!)

  • 私の自立を語る

    1989年「私たちの生き方」1989年 中学2年用

    なんと教科書に登場です!中学二年生用。
    人生そのものや、職業選択など 「生き方」全般について。私は、特に「自立」について。職業の選択そのものが 自立することとイコールで捉えられがちな日本。でも、就職や職業ありき、 ではなく、まず一番大事なことは、自分を確認すること。自分の好きなこと、 苦手だなと思うこと等、その自己認識から始めることの大切さを伝えたかった。 偏差値なんか、人間の価値とシンクロはおろか、あんまりやくに立たないことを、 この年代に教えたい、と思ってた。「好きこそモノの上手なれ」!この真実。