輝いて生きよう! ー楽しく生きるためのキーワードは”笑顔”と”感謝”

2003 年「Club Unisys」9月号 ユニシス広報誌

ユニシスで「価値創造委員会」のメンバーだったご縁でのインタヴュー記事。
まだまだ、ICTなどという言葉も、それが想起させる「未来的」社会への不安や期待もなかった時代。インターネット、という世界が、なにがし「新」ルールをもたらしていくだろう、くらい。その業界のリーダーカンパニー内の社員の方達に、だからこそ、お伝えしなければ、と思いながら「いのち」の軸をお話しした思い出。「道具」でしかない「情報技術」ではありながら、やはり、その出現において、「メディアイズ メッセージ」。道具そのものが、社会変革の主導者にもなる事実。だからこそ、心して、作り手としての社員の皆さんに、いのちへの「志」とか「魂」を持ち続けて欲しいと。

第27回経済界大賞フラワー賞

2002年「経済界」2月号

『経済界』から女性経営者としての表彰としての「フラワー賞」をいただいた2001年。証券会社のシンクタンクの理事長職に就き、新しい時代の金融機関のシンクタンクのあるべき姿を模索しながらの改革を任され、試行錯誤。その活動が認められたことが、とても嬉しく、大きな力をいただいたことを、昨日のことのように思い出す。マイノリティー故に、「女性経営者」というカテゴリーが、必要だった時代。現在では、この「フラワー賞」は、もう存在していない、と伺った。良いことだと思います。

ジャーナリストをめざす人へ

2000年「2001年度入社案内 日本経済新聞」 

日経新聞の翌年度新入社員募集のための、別刷り特別版。一面に、田中直毅先生と。当時の日経には、こんな記事(真正面から事実を問いただすスピリット・オブ・ジャーナリズムこそ記者魂だ、と語る)を載せる姿勢があったんだ!と、感動すら覚えてしまいます。日本最長期政権を経て、今、2021年の日経たるや、まるで政府の御用新聞のテイ。経済界の御用聞き、という側面は否めない出自ではあるけれど、これほどまでに現行の政治へのチェック機能を果たさないメディアは、もはや、看過できない、を超えて、国民への犯罪的所作振る舞いと呼ばれても仕方ないのでは、とすら思えてきてしまいます。”No Journalism, No Democracy” という言葉がある。蓋し名言というべきか。

事実は真実の敵なり

2009年6月号「月刊 公民館」

2009年「月刊 公民館」6月号のコラムです。

変わらず伝え続けてることが、ますます大事な時代になってきてます。

“私たちジンルイは「生きている」のではなく、「生かされている」存在でしかない、という地球上の究極の「真実」に、いかに謙虚に立ちもどれるのか。”

変革の21世紀!「自分の考え」で動ける人間に

2002年「S-Parents」5・6月号vol.2

2002年「S-Parents」連載コラム「WORLD VIEWPOINT」より。
小学生対象の英会話教室の機関誌に連載していた大人向けのコラム。
その時々の世界の時事問題をとらえて分かりやすく解説していました。
2002年にすでにアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)が全講座をウェブ上に公開していたこと、教育から共育へ、など興味深い内容です。

水と緑と土に感謝して

2001年「食べもの通信」5月

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文中にもあるが、「好き嫌いはダメ!何でも食べなさい!」と言われた記憶がない。
スイカ、イチゴ、大根…もちろん好きでは無いぞ、と思っていた食べ物は、ある。でも、思えば、母の掌の中。あらら、もったいない。イチゴの中にある、すごーいばいたみんCという電池は、体の中にはいるといろーんなところを元気にして..
でもみいんな、お兄ちゃまにとられちゃったのね〜..。一時が万事。何だかとっても損してるかも〜!と思ってしまえば、あら?!お気の毒なのは、わたし自身なのかしらん。。
となるのである。何十年たっても、この「食べるもの」に対峙する時の楽しさや、ワクワクのポイントは、母のおかげで創られている

女性の居場所はどこにある?

2002年インタビュー「月刊連合」10月

https://tomoyononaka.com/wp-content/uploads/2022/12/391b57782f6a836b814748420e1d5b4f.pdf

労働組合というミッションでのインタヴュー。 これまでは男性社会が「マル」、女性は「バツ」 だったから、これからは女性にも、少しは機会をあげるようにして「サンカク」くらいにして あげましょうよ、みたいな「男女共同参画」ではダメですよねー。って、アイスブレイク、としての しょうもない冗談で取材をスタートしていた野中さんは、思わず「ゴメンなさい…」と呟きました。届いた雑誌を拝読し…。はい、ものすごく真面目に聞いてくださっていました。思いは、あってます(笑)。

いのちにありがとう

「ソトコト」2009年4月の「CHIBIKOTO」に寄稿したエッセイです。

春のこもれび、燃え立つ夕日・・・どんな時にも、おひさまがいる。夜だって、反対側は照らしてる。刻一刻と、また明ける一日の、朝日に向かって動いている星、地球号。

そう、エネルギーをくれる母なる太陽のまわりをぐるぐると、自分も律儀に一日一回回りながら、ひたすら回り続ける星のひとつが、私たちの母船、地球号。「ソーラーシステム」というのは、そもそもこの「太陽系」を呼ぶ言葉です。

なにしろ全地球で1年間に全人類が消費するエネルギーの総量分を、たった1時間分の照射で届けてくれている、というのですから、太陽の凄さがわかります。

明けない夜が来たら、全ての地球上の命はきっと絶えてしまうでしょう。

海も、緑も、風も、雨も、水も、土も・・・全ての源は、太陽にあるといっても過言ではありません。

私たちのいのちは、この豊かな自然の営みの掌(たなごころ)の内にあるもの。生きている、のではなしに生かされている存在でしかないのです。

こうしたことに、感謝を忘れるどころか、自分たちが全てを仕切れる主人公だと勘違いした稚拙な驕りが、今の、所謂、環境問題の根っこだと思います。

幸せだなナ、と思うのはどんな時ですか?

日射しに、頬をわたる風が花の香りを運ぶとき・・・

清らかな水、安心の食べ物を口にするとき・・・。

自分を育み、守り、包んでくれる『棲み家』をもう一度、いのちが喜ぶ“いのちのめもり”で、はかりながら、創り直す時がきているのだと思います。

私たちすべての『棲み家』地球号の未来も、今、私たち一人ひとりが何を変えるか、止めるのか、始めるのか。その総体によってしか創れないと思っています。

ハセベケンの希望のレシピ(ソトコト対談)

2008年「ソトコト」6月号

現在は、泣く子も黙る「渋谷区」の「区長」さん。
当時は、「朝の合コン」と呼んで耳目を集め、原宿大通りのお掃除ボランティア「グリーンバード」を創設する、という流石元博報宣伝マンの、長谷部さんとの対談。弟分、で今も通してくれている、生粋の愛の忖度ならぬ、思いやり溢れ男子。「重い槍!です、ともよねーさん!」。ニコニコ笑顔で、時に本音をはくことも忘れない男子。笑。
こうした感性で、このフットワークで、生まれ育ったローカル(原宿生まれ育ち、というこれまた生粋のシティーボーイ)をよくしたい、と区議に。で、経験を積んで、区長へ。こうしたキャリアパスこそが、本来の民主主義からのまつりごととしての政治、だと思う。たくさんの若者よ、彼に続け〜!。